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ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』
・ヴェネディクト・エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』(国書刊行会)
この小説は一種のロード・ノヴェルであるがストーリーは全くない。われらが主人公、酔いどれのヴェーニャ(作者の愛称)が、モスクワのクルスク駅を出発し、ペトゥシキに向かう、たった2時間半の旅を描いたものだ。だがその間、旅先の風景は一切描写されず、駅はただただ通過するばかり。
すっかり酔っぱらったヴェーニャが内面の独白をしたり、事象の考察をするものの、酔っぱらいゆえ思考はすべてぶつぎり。列車の中で出逢った人たちと語りあっても、彼ら彼女らもひとしく酔っぱらっているので会話はでたらめ、まったく収拾がつかない。とんでもないカクテルのレシピを延々と書き連ね、文豪の名作をひたすらこき下ろす。しかしこれがいいのだ。たまらなく楽しいのだ。
1970年当時の旧ソヴィエトを舞台にしていることからも推察されるように、社会批判や諷刺、悪口などはてんこ盛りにあるけれど(当然この小説の初版は地下出版)、それを吹き飛ばす〈哄笑〉に充ち満ちており、これがほんとに声を上げて笑わされてしまう。以下は印象に残った好きな台詞。
「人民に牛肉は買えないが、ウォトカは安い。だからロシアの百姓は呑むのだ」
「おお、我が国民の生活における至福のとき――店が開いてから閉まるまでの時間よ!」
「ペトゥシキ線では検札を怖れる者は誰もいない。なぜなら全員切符を持っていないからだ」
などなど。鬱屈した状況をキマジメに語るのではなく、笑いのめそうとする姿勢は実に素晴らしく、そしてそれゆえに、ラストの哀切が極まりない…。おれもかなりの酔いどれなので久しぶりに没入した。☆は大サービス。
☆☆☆☆2005年11月10日読了
この小説は一種のロード・ノヴェルであるがストーリーは全くない。われらが主人公、酔いどれのヴェーニャ(作者の愛称)が、モスクワのクルスク駅を出発し、ペトゥシキに向かう、たった2時間半の旅を描いたものだ。だがその間、旅先の風景は一切描写されず、駅はただただ通過するばかり。
すっかり酔っぱらったヴェーニャが内面の独白をしたり、事象の考察をするものの、酔っぱらいゆえ思考はすべてぶつぎり。列車の中で出逢った人たちと語りあっても、彼ら彼女らもひとしく酔っぱらっているので会話はでたらめ、まったく収拾がつかない。とんでもないカクテルのレシピを延々と書き連ね、文豪の名作をひたすらこき下ろす。しかしこれがいいのだ。たまらなく楽しいのだ。
1970年当時の旧ソヴィエトを舞台にしていることからも推察されるように、社会批判や諷刺、悪口などはてんこ盛りにあるけれど(当然この小説の初版は地下出版)、それを吹き飛ばす〈哄笑〉に充ち満ちており、これがほんとに声を上げて笑わされてしまう。以下は印象に残った好きな台詞。
「人民に牛肉は買えないが、ウォトカは安い。だからロシアの百姓は呑むのだ」
「おお、我が国民の生活における至福のとき――店が開いてから閉まるまでの時間よ!」
「ペトゥシキ線では検札を怖れる者は誰もいない。なぜなら全員切符を持っていないからだ」
などなど。鬱屈した状況をキマジメに語るのではなく、笑いのめそうとする姿勢は実に素晴らしく、そしてそれゆえに、ラストの哀切が極まりない…。おれもかなりの酔いどれなので久しぶりに没入した。☆は大サービス。
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